20240118

2024年1月18日。

 

祖母が亡くなって、3週間ほどが経つ。

 

ここ10年ほど、高齢者施設や病院から出ることができず、寝たきりだった祖母との最後の会話を思い出すことは難しい。

代わりに思い出すのは、箸に関する記憶である。

 

 

祖母は、何か一度気になることがあると、自分なりに納得するまでそれに執着する人だった。

些細なことで祖父と揉めていたことを覚えている。普段極めて温厚な祖父が苛立つ様子を見ることは恐ろしく、祖父母と食事を囲むことは必ずしも楽しいことではなかった。

 

 

祖母は私の箸の持ち方を何度も注意した。

当時小学校低学年の子どもであった私は箸を上手く使うことができず、正しいとは言えない持ち方で食事をしていた。

自分なりの箸の操り方が分かると食事に苦労することはなく、それほど行儀の悪いことはしていなかったはずだった。

 

だが、祖母はそれを許さず、正しい持ち方ができるまで私を注意した。私の食事を止め、そうじゃない、こうだ、こう持てと、繰り返し言ってきた。

怒気を含んだ言い方ではなかった。だが、あまりのしつこさに私は泣いてしまい、食卓の雰囲気を壊してしまうことがあった。

 

昔から食が細く、痩せていた私を母は心配していた。家庭内でのマナーよりも、ある程度の量を食べさせることに注力していた母はそんな祖母と意見が食い違い、私の見えないところで言い合いになったことがあったらしい。

 

 

祖母の注意の甲斐があってか、私はいつの間にか正しい箸の持ち方を身につけた。

どの時点でそうなったか、はっきりと思い出すことはできない。だが、小学校中学年くらいでは問題なく持てるようになっていたように思う。

泣くほど嫌だった祖母の注意も、貴重な助言であった。大人になった今、そう感じる。

 

 

 

 

 

2024年1月4日。

私は祖母に教えられた持ち方で箸を持ち、祖母の骨を拾った。

何個も骨を拾ったが、一度も落とすことはなかった。

良い持ち方であると思う。何も困ることはなかった。

 

 

これからもこの持ち方で、私は食事を続ける。

その度に祖母を思い出すなんてことはない。あまりに自然で、簡単なことであるから、思考が介入する隙間もないはずだ。

 

 

私は何も考えずに箸を持つ。

問題はない。