2023年12月30日。
1年ぶりに実家に帰ってきた。
実家を出て10年。ここ数年、帰るたびに物の整理が進んでいる。
特に最近はリフォームが進み、私が住んでいた頃の俤は少しずつ失われていっている。
いつか、実家が無くなるときの心的準備が進んでいるようで丁度よい。
2023年12月30日。
1年ぶりに実家に帰ってきた。
実家を出て10年。ここ数年、帰るたびに物の整理が進んでいる。
特に最近はリフォームが進み、私が住んでいた頃の俤は少しずつ失われていっている。
いつか、実家が無くなるときの心的準備が進んでいるようで丁度よい。
2023年12月22日。
無表情の人がなんとなく好きだ。
アキ・カウリスマキ監督の『浮き雲』(1996)を観て、良いことが起こっても悪いことが起こっても、無表情を貫き続ける人々が可笑しくて美しくて、なんとなく好きだと思った。
作中ではよく煙草が登場した。
無表情のまま煙草に火をつけ、煙を吸い、吐き、消す。
とても素敵だった。
映画の中で煙草を吸う人を観るたび、自分も吸いたい気持ちに駆られる。
気管支喘息が持病なので、ただそう思うだけ。行動には移さない。少し残念。
皆が山ほど煙草を吸うことが当たり前だった時代に生まれていたら、自分も同じく吸っていただろうか。
初めてハンガリーのブダペストに行ったとき、路傍に大量の吸い殻が落ちているのを見て驚いた。
よく気にせずにいられるなと思ったが、気にするほうがおかしいのだろうか。
友人へのお土産に煙草を買っていったことを覚えている。日本でも手に入りそうなマルボロだったが。
明日は煙草によく合いそうな濃いアメリカーノを作って、いつもの水筒に入れて職場に持っていく。
本当はアメリカーノではなく、エスプレッソをそのまま持っていけたらいいのだけど。
2023年12月19日。
情に絆されそうになることなんて、いくらでもある。
辞めたくて仕方がなかった職場でも、少し楽しいことがあると急に印象が良くなる。
小さい頃、意地悪な上級生に優しくされたときと、ちょうど同じような感覚である。
敵意をむき出しにしていないと、自分の気持ちを保つことができない、気がする。
そんなこと、しなくてもいいのだけれど。
2023年12月13日。
今日は牛乳を飲み切った。
ただの牛乳ではなく、未開封のまま室温20度の部屋に10時間ほど放置してしまった牛乳である。
2日前、スーパーに寄って帰宅後、牛乳を入れた買い物袋を机の上に置いた。
その後用事があったので外出したが、その際に冷蔵庫に入れるのを忘れてしまったのだ。
気づいた時には次の日の朝、10時間ほど経っていた。
これはマズい、と思ったものの、貧乏症のため、丸ごと捨ててしまうのは勿体無くて仕方がない。
煮沸すれば大丈夫かもしれないと考え、沸騰させた後、コーヒーに淹れてカフェオレを作る。この方法を連日試してみた。
結果、お腹を壊すことなく、飲み切ることに成功したのだ。
正直、そのカフェオレを飲んだ後はお腹の調子が非常に気になった。
今に痛くなるのではないか、電車に乗っている間に調子が悪くなるのではないかとしきりに気にしてしまった。
「何かを気にしないでいる」ということは、素晴らしいことである。
とある問題を考えずに済むということは、ストレスのかからない生活を送る上で極めて重要なことである。
何かを気にかけず楽に生きるか、何かを気にして常に頭を悩まし続けて生きるか。
菊池寛の『極楽』(1920)という短編小説を思い出した。
2023年12月6日。
昨日は嬉しいことがあった。
相手に伝えると傷つけてしまうのではないかと思ってなかなか言えなかったことを、思い切って言葉にしてみた。
そうすると、自分が考えていたことと、非常に近いことを相手も考えていたと分かったのだ。
共有せずに相手に本音を隠し続けた結果、かえって傷つけてしまったことが、これまで何度あっただろう。
そのようなときに、自分が最も守ろうと、大事にしようとしているのは誰か。
恐らく相手ではなく、自分自身である。
自分の中に考えを隠したままではどうにもならない。
一人でぐるぐる思考してコミュニケーションを取った気になっているのは、醜いエゴである。
本音を隠したままの方が上手くいくかもしれない、なんて考えは幼稚である。
そんなしょうもない、精神的仮面舞踏会は全く楽しくないのだ。
2023年12月4日。
私は幸せになりたいと思ったことがあるだろうか。
ここ数日これについて考えている。
私はただ自分のやりたいことができればそれでいい。その過程が苦しくても、自分の立てた目標に近づくことができればそれでいい。
その先で幸せであるかどうか、幸せになりたいか、などは気にしたことがない。
私は幸せについて考えたことがあるだろうか。
大事なのはもっと別のことだ。
2023年12月2日。
久しぶりに土曜出勤をした。
退職が確定しているからこそ、現在の仕事をより煩わしく感じてしまう。
最終出勤日まで3ヶ月を切った。
昼食の味を意識することは少ない。
もとより食に関心はないが、無味に寂しさを感じるのも事実。
現在、最も味を敏感に感じ取れるものはコーヒーである。
帰宅して、古い映画を観た。
鑑賞後に、また不穏なことを考えてしまい頭痛がした。
いつもは使わない砂糖を紅茶に入れた、必要のないものだった。
換気扇の音と、ジョアン・ジルベルトの曲を聴きながら床に就く。